福圓寺沿革

寺院は地域の仏心の記憶を紡ぎ。

人々の浄財あつまる寺院は、その足跡が時代々の地域と檀家衆の困難や生活の刻み積まれる記憶の塔です。

  • 平安初期 創設さるとの口伝有り、金田町寺屋敷付近に天台宗の門葉として開基の記録(金田町史)謙譲上人により開基さる。300石の寺領を有す。
  • 天長年中(824〜829年)五穀不作のため金田村において氏神稲荷神社を祭る為、住僧謙譲上人、代表の一人として上京の記録が残る(金田町史)
  • 1229年 安貞3年 天台宗を浄土宗に改む。聖光山壽得院福圓寺となる。
  • 1398年 応永5年 応仁の乱前年のこの年、大友氏艦の乱で金田の福圓寺兵火にかかる(金田町史)
  • 1558〜1569年 安土桃山時代永禄年中 大友兵乱 堂宇すべて焼失(金田町史)
  • 1643年 寛永20年 宗通和尚により中興(田川郡誌より)
  • 1876年 明治8年福圓寺、金田より方城村伊方に移転 (福圓寺由緒記)
  • 第26世 中興冨永秀逸上人
  • 1914年 大正3年 第一次世界大戦おこる。
  • 方城炭坑瓦斯大爆発(方城大非常)が起こる。
  • 12月15日、福智町伊方の方城炭坑においてガス爆発が発生。確認されただけでも687人、推定で1200人の人々が犠牲になるという国内史上最大の炭鉱事故だった。同炭鉱跡の近くの福圓寺には、このうち676人の慰霊を祀る位牌が安置されている。
  • 昭和六年 第27世 冨永秀逸上人 住職拝命
  • 昭和12年 中国との戦争により石炭増産が行なわれ人口が急増しました。伊方小学校の校舎増築、講堂建築のために学校に隣にありました福圓寺は町(当時は村)と寺役員との話し合いの末に町の発展を考えて同年10月18日に移転の決定がなされます。
  • 昭和14年5月17日 現在の境内となる敷地1500坪が決まりました。
    地元への報恩の為、移転に際し浄土宗勧学藤本浄本上人に勧戎師を願い五重相伝を6日間勤修。
  • 昭和15年11月18日 現在旧日高公園に移転工事開始
  • 昭和16年4月 本堂、客殿移転工事完了
  • 昭和17年5月 中興信誉秀逸上人により移転落慶法要開修
  • 昭和18年6月 梵鐘を戦争の為国に献納
    終戦後、食糧難により境内の桜、植木を切り倒し本堂前、両脇、参道以外は全て畑にして薩摩芋、小麦大豆を栽培し寺族全員努力する。
  • 昭和23年14名の役員で梵鐘鋳造発起委員会設立、浄財を募り京都寺町へ発注
  • 昭和24年4月14日 金田本町藤田材木店より鐘を牛車に載せて白布の善の綱で団信徒が轢いて運び開眼法要が行なわれる。
  • 昭和26年5月7日 日米講和条約により日本独立を記念して勧戒師田中木叉上人、教授師堺静道上人により授者70名の五重相伝会を開修される。聖光会がこれより始まり昭和38年まで続く
  • 昭和27年4月10日〜12日 講和記念大法要執り行われる。総本山知恩院門跡代理千々和宝天僧正をお迎えする。僧正百五名の稚児お練り供養など盛大に行なわれる。
  • 同年10月14日三泊四日にて如来光明礼拝儀講話別時を浄土宗勧学藤本浄本上人を迎えて行なわれる。45名勤修者あり。

    如来光明礼拝儀講話別時

  • 昭和29年8月23日午前3時20分称名念仏の中、秀逸上人大往生。満60歳。時に武元上人(先代)大学4年生だった。
  • 同年9月30日武元先代住職、福圓寺住職を拝命 学業成就の為、兄の法元上人により福圓寺を護持。
  • 第27世 冨永武元上人
  • 昭和30年 武元上人大学を卒業し同年5月、聖光山福圓寺法鐙(燈)を継承

    武元上人聖光山福圓寺法鐙(燈)を継承

  • 昭和34年 次年の福圓寺開基千二百年祭と宗祖大師七百五十年大遠忌法要に向けて、本堂内陣改築、参道と境内整備を11月に開始
  • 昭和35年 2月中旬改築整備完了
    同年3月 宗祖大師七百五十年大遠忌お待ち受け法要と福圓寺開基千二百年祭大法要が勤修される。知恩院御門跡 岸信宏大僧正の牛車に法然上人御木像を載せて金田町より稚児百五十名の行列、善の綱にてお供が行なわれた。得度式も行なわれ授者120名

    知恩院御門跡 岸信宏大僧正と本堂御前記念撮影

    法然上人像を頂く牛舎

    伊方橋を渡る行列

  • 昭和36年 宗祖大師七百五十年大遠忌への小倉組、京都(みやこ)組合同豊前地区参拝団で総本山を参拝、檀家男10名女20名参加
  • 昭和39年 4月29日五重相伝会総授者140名の参加を得て勤修
    エネルギー革命により三菱方城炭鉱閉山 郷里を離れる人が多くなる
  • 昭和41年 2月大納骨堂建設着工、11月竣工 12月3日稚児行列練り供養落慶法要盛大に行なわれる。

    稚児行列風景

  • 1968年
    昭和43年 12月 境内に納骨堂建立

    平成大改装前の福圓寺航空写真

  • 昭和47年 昭和49年の浄土宗開宗800年祭に向けて 福圓寺ご本尊阿弥陀如来様ご宮殿(くうでん)、須弥壇(しゅみだん)明治時代の以来百数十年ぶりに彩色。法然上人像、善導大師像、その他仏柱仏具の彩色も行なわれる。
  • 昭和49年 4月、浄土宗開宗800年祭慶讃大法要に田川門中5ヶ寺合同参拝団120名(内福圓寺檀家35名)として参拝、勤修
  • 同年 核家族化などの複雑多様化する社会の地域福祉の必要から方城町社会福祉協議会設立される。設立理事会長に選任。
  • 同年6月 老朽化のため庫裏の新築工事

    大改装前の福圓寺境内

  • 昭和50年3月 庫裏竣工 5月法然上人八百年祭記念福圓寺庫裏新築慶讃法要を奉修
  • 昭和56年 秀元上人福圓寺副住職に就任
  • 昭和57年 朝合掌会(第二日曜日朝六時)始まる。
  • 昭和59年4月 五重相伝行なわれる。
  • 昭和61年3月 福圓寺 寺報「合掌」発刊
  • 平成6年 5月建立着手、11月3日 入佛開眼法要慈母観世音菩薩入佛開眼法要

    観世音菩薩入佛開眼法要

  • 平成8年 3月25日 第27代住職冨永武元上人 僧正叙任
  • 2000年 
    平成12年 11月 約2年の歳月をかけ荘厳なる本堂ならびに諸堂を再建。ついで山門と聖光殿を増築境内の造園さる

    福圓寺平成大改築後の航空写真

  • 平成14年 福圓寺歴代上人の墓所完成 
  • 同年 10月24日 全戦没者追悼法要会 田川佛教連合会により福圓寺にて厳修
  • 平成15年 聖光殿観音勢至菩薩、130年ぶりの修復彩色 福圓寺堂宇建立 (福圓寺由緒記)
  • 第28世 冨永秀元上人
    平成18年 冨永秀元上人福圓寺住職拝命 聖光山福圓寺法鐙(燈)を継承する。
  • 平成18年福圓寺開山 現在にいたる ブログの綴りが始まりました。
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