念仏三昧
さまざまな大師の称号を頂く、元祖法然上人によって開かれた浄土宗は、念仏をとなえれば人間は等しく極楽に往生するという教えを基にしています。阿弥陀仏の平等の慈悲を信じ、「南無阿弥陀仏」と阿弥陀様への帰依を唱えることで、人格を高め、社会のためにつくし、明るく安らかな毎日を送り、浄土に生まれることを願います。
迷いの多い凡夫である自分自信を灯明とするのではなく、最上の境地に在る阿弥陀如来さまに一心に「南無阿弥陀仏」と念仏することをもって、心の海において迷いや悩みの波間に漂う自我から、正しきに定むる錨、帰依をもって覚りに達する道を説いています。
浄土三部経は三つのお経からなる仏理の世界です。以下の経から成り立っております。
法蔵菩薩が一切の衆生の救済を誓願(本願)し、偉大な菩薩行を行って、阿弥陀如来が悟るまでに立てた誓願と極楽浄土までの道のりの世界が顕されてます。仏になろうと志すもの皆が、仏にならなければ自分も仏にならないという大いなる願いが述べられているお経です。
マガダ国の太子である阿闍世(あじゃせ)が提婆達多(だいばだった)にそそのかされ、父の頻婆娑羅(ビンビサーラ)国王を幽閉する「王舎城の悲劇」から始まる経典です。精神浄土に達する手立てとして十六の観想が記されています。
極楽浄土のありさまを表したお経です。 浄土の世界の極まりを描かれた経であり、真の金色の世界の暮らしが見えるようです。
さらに詳しく知りたい方は福圓寺までご連絡いただくか、浄土宗のホームページもご覧になるとよいでしょう。
中国浄土教の大成者、善導大師は「観無量寿経疏」を著された大師です。半身が金色で合掌念仏の姿でおられます。平安時代末期の1175年に法然上人の夢の中に半身が金色で現れてから、半身が金色で表されるようになりました。
金色の部分は阿弥陀仏を表しています。「観無量寿経疏」の中にこう記されています。
浄土宗の開祖である法然上人の像です。
墨染めの大師衣をつけられ数珠を身に付けられていらっしゃいます。善導大師が著された観経疏によって念仏の本意を会得された法然上人は善導大師を師と仰がれておられます。
「一心に専ら阿弥陀の名号を念じ、行住坐臥に時節の久近を問わず、年々に捨てざるものこれを正定の行と名づく、彼の仏の願いに順ずるがゆえに」
このくだりを読まれた法然上人は念仏一筋の布教に帰依されることとなりました。