施餓鬼法要

8月5日午後1時より
数百年前より毎年8月5日に行なわれている、当山施餓鬼法要が行なわれます。多くの方々のご参詣お待ちしております。合掌※施餓鬼会(せがきえ)とは
餓鬼(がき)とは、六道の一つ、餓鬼道に落ちて、いつも飢えと渇きに苦しんでいる亡者のことです。餓鬼が口にしようとするものは、炎となってしまうので、 何一つ食べることができず、飢えの苦しみは限りがありません。こうした餓鬼は、自分の力でその苦しみから抜け出す術はなく、施餓鬼会が唯一の救いになるとされています。
施餓鬼会の時は、お寺に施餓鬼壇を設け、檀家の人たちが、米、野菜その他の食料を持ち寄り、集まった人全員に食事を出します。また、施餓鬼法要を行い、亡者を供養し、その滅罪追福を祈るものです。
私たちは、食べることにより生命を維持しているのであり、その大切さをよく考え、自分や家族だけではなく、広く他人や、さらには動物にも、布施の心で、食物を与え合おうという考え方でもあります。

施餓鬼会の由来
お釈迦さまの十大弟子の一人で、お釈迦さまのそばに使え、一番多くの教えを聞いた「多聞(たもん)第一」といわれる、阿難尊者が、森のなかで修行をしていると、真夜中、突然に焔口(えんく)という餓鬼が現われました。そして、口から火を吐きながら阿難に向かい、「三日後、お前の命はなくなり、我々と同じ餓鬼道に生まれかわるだろう」といいました。 驚いた阿難が、お釈迦さまに相談したところ、お釈迦さまは施餓鬼の陀羅尼(だらに)を示し、「心配しなくてよい。この陀羅尼を唱えながら食物を布施すれば、無数 の餓鬼、そしてバラモンに心のこもった施しをすることになり、その功徳によって多くの餓鬼が苦身を逃れ、天上に生まれかわれるし、また、施主は、寿命が延び、仏の道を悟ることができるだろう」と教えられました。この教えのとおり施餓鬼の作法によって餓鬼に布施をして、阿難はあと三日しかない命を八十歳まで生きることができ、餓鬼は地獄の苦しみから救われたのでした。この阿難が行なった供養が、施餓鬼会の始まりです。
阿難尊者が八十歳まで命を頂かなければ、お釈迦さまの教え(仏教)は後の世まで伝わらなかったであろうといわれています。

施餓鬼会を行う時
施餓鬼会は、もともと特定の霊を供養するものではなく、供養に恵まれないさまざまの霊を対象としたものです。また、水難で死んだ人の供養のためには、川辺や海岸に「施餓鬼棚」を設け、法要を営むこともあります。それぞれ、「川施餓鬼」「浜施餓鬼」と呼ばれています。
本来、施餓鬼会は、お寺で随時営まれていましたが、現在では、お盆の前後に行われることが多くなりました。また、百ケ日の法要や、年忌の追善供養の時などにも営まれます。
五如来の名を記した五色の旗、施餓鬼幡をたてた施餓鬼壇に、「三界万霊」と書いた位牌を安置します。三界万霊とは、欲界・色界・無色界の三つの迷いに溢れた世界に生きる、諸々の霊のことをさしています。 
お盆や年忌法要の時は、新亡や先亡の位牌も、安置します。(祭壇)施餓鬼壇に、ご飯・水・野菜・果物・菓子など諸々の食物を供え、祭壇の周りに集ってくるあらゆる餓鬼に施します。
施餓鬼会を行い、三界万霊を供養することは、その功徳が、施主やその先祖まで及び、先祖への追善ともなります。